普通の生活をしていて「死」について考えることは少ないだろう。
「死」に対面するのは祖父母などの肉親の時が初めてになることも多いだろう。
年老いて亡くなるのと、まだこれからという若さで亡くなるのでは「死」について考えることがまた違うだろう。
先日、友人が亡くなった。
症状がよくないのは聞いていた。
亡くなったのを知ったのは葬儀が終わってからだ。
だから私は友人の最後の姿は見ていない。
友人が亡くなったのを知って、肉親が亡くなるのとは別の想いがあった。
友人とは幼稚園、小学校、中学校と一緒で、私の人生で初めてできた友達であった。
共に学び、遊び、笑い合い、時には喧嘩をしたりと一緒の時間を過ごした。
これは親兄弟とも得られない貴重な体験である。
その友人が亡くなった。
年齢は40歳だった。
そのことが「死」について考えさせられるきっかけとなった。
若い頃は「死」ということは考えらなかった。
それは「死」とはまだ遠い存在であったから。
祖父母の葬儀は悲しかったけどやはり「死」はどこか遠くのものと見ていた。
しかし今回の出来事でグッと身近に感じた。
「死」とは「生」の裏返しであり、その逆もまた然り。
生きている限り常についてまわる。
私は今の人生に満足しているのだろうか。
後悔なく生きているだろうか。
「死」からは逃れられない。
どんなに逃げ回っても。
中学卒業後、別々の高校へ進学したため友人とは会うことが亡くなったが、遺影を見た瞬間パーーッと昔のことが思い出してきた。
やはりどこか昔の面影が残っていた。
今はもう後悔しかないが一緒にお酒が飲みたかった。
友人は今後私の中で生き続けていくだろう。
そして私が生きていくことが友人が生きていた証でもある。
私に「生きろ」と教えてくれたのかもしれない。
人生を悔いのないように「生きろ」と。
そして「死」を迎えろと。
今回のことは書くかどうか迷ったけど、自分の気持ちを整理するために書きました。