「究極的に、我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が人生に問われているのだと理解すべきである。一言で言えば、すべての人は人生に問われている。自分の人生に答えることで答えを出し、人生の責任を引き受けることで責任を果たすことしかできない 」
ヴィクトール・フランクル
こんにちは、コウノユタカです。
現在読書中の本は「完訳 7つの習慣」で再読をしています。
初めて読んだ時には気づかなかったところも多々あり、新しい発見があります。
それが冒頭に書いたことです。
人生の意味を問う時、その答えを探していると袋小路に入る。
「人生とは何か」
「人生に意味はあるのか」
この答えはおそらく出てはこないだろう。
「最終的に人は死ぬのだから、今していることも意味がないだろう」
と、中高生の頃に考えていた。
やがてそんなことを考えることもなくなり普通に生きている。
人生に問われている時、何を考えるか。
「人生とは何か」とは考えないだろう。
「どのように人生を生きるのか」、と問われているだろう。
人生は人それぞれである。
お金持ちなりたい人生、幸せになりたい人生、ごく普通に生きたい人生、何も考えず流されているだけの人生もまた人生である。
自分の人生を想像して創造する。
不平不満を口(想像)にして、不平不満が起こる(創造)のは当たり前だろう。
そのように願っているのだから。
わたし自身、どのような人生を送るかを改めて想像する。
その選択に責任を持つ、自分で決めたことだから。
まずはやりたいことリストを読み返すとするか。
書き足したいことも出てきて、達成した項目もあるだろう。
ではまた。