まだ人も蚊も少ない時間にお墓参りに行った。
はっきりというと、おじいちゃんもおばあちゃんの顔も覚えちゃいない。
いや、覚えているんだろうけれど、浮かんではこない。
亡くなって20年以上は経っている。
しかし、おじいちゃんの葬式の時に泣いたのは覚えている。
ただ、それだけ。
一緒に暮らした記憶もなく、お正月にお年玉をもらいにいく時くらいだった。
同じ町内に住んでいるのにだぜ。
なんか知らんがうちの親があまり行かせなかった。
おそらく子供だったから、うるさく迷惑だったのだろう。
というか親自体があまり近づいていなかった気がする。
おばあちゃんが野菜をくれるというので、自分がもらいに行っていた記憶が蘇った。
ああ、そういうことか。
行きたくなかったのだろう。
家族で泊まりで旅行に行ったことはない。
あっても日帰りだ。
お金がないという理由ではなく、連れて行きたくなかったのか。
「お金がない」が親の口癖である。
「もう年だから無理」という理由でチャレンジをすることから逃げていた。
40代の頃から言っていたな。
しかしこれは、親が自分で選んだ親の人生だ。
だから口出しはしない。
気づくのを待つだけ。
俺もあんな風に年取っていくのかとぼんやりと思っていた。
けど、今ならわかる。
あのような年の取り方はごめん。
なんのチャレンジもせず、1日をただテレビを見て生きる人生。
目的もなく生きるって、ごめんだ!
あの日俺に大きな出会いが訪れた。
今はその一つの大きな目標に向かい俺は邁進している。
心が変われば、人生が変わる
以上。