どうやら趣味を持たないとヤバイらしい。
定年後においそれと趣味を見つけることは難しいらしい。
なら、今のうちに見つけるかと思うけど、自分が何に興味があるかを知ることがある。
何もなければ、とりあえずブログ書こう。
日記にもなるし、備忘録にもなるし、もしかしたら小説っぽいものも書いていけるかもしれない。
毎日続けるのは難しいかもしれないが、何もせず定年を迎えて一日中テレビを見る生活が待っていると思うと「ゾッとする」。
もしかしたら、ほんのちょっとの小遣い稼ぎになるかもしれないし、ならないかもしれない。
しかし、お金に変えられないこの瞬間の思いを残せる、考えを発せられる。
毎日のよう新しいブログが生まれているのだが、1日で終わることもあれば1年2年と続くブログもある。
この差ってなんだろう?
続けていく意思だろうか?
僕がまず思ったのは、文章を書く難しさである。
「簡単に書けるっしょ」
なんて高をくくっていた僕は簡単には書けなかった。
100文字さえ遠い道のりに思えた。
頭で思うのと、腕を動かして書くことの難しさを知るのである。
しかし、不思議なことに書けば書くほど文章が書けていく。
文法的に間違えもあるだろうが、書けている。
というか、間違えだらけですけど。
だがなんだかんだ言っても書けている。
ある意味強制的に書かなきゃってなってる感はあるけど。
書かなくてもいいんだけど、習慣とは恐ろしい。
すでに生活の一部として機能しているようだ。
ただ書くのは難しい。
だから、見る、感じる、思う、経験する。
これが大事だと思う。
ただボケーって見てるテレビでも、見方を変えるとネタの一つや二つは転がっているだろう。
ちゅうようにネタはどこにでもある。
良いもん、良い文章書こうと思うと途端にヤル気がなくなる。
だからラフに気軽に書いている。
別に国語の教科書に載るようもんでもないし、出版されるようなもんでもないし。
好きに書いている。
ということで、定年後の生活を考えると何もしないより、何かをしといたほうが楽しみが増えるよということでした。
定年までまだまだ先のことだけど、何も考えず、何もせずに生きていくことだけはやめようと思う。
せっかく時間があるのだから、有意義な人生を。